「叩かないと、言うことを聞かないから」
そう口にしたことがある親御さんは、決して少なくないと思います。
私自身も、若い頃はそう思っていた時期がありました。
昭和の時代は、お尻を叩く くらいは普通のしつけでした。
私たち親世代の多くが、自分自身もそうやって育てられてきたはずです。
だから無意識に、
「これくらいのことは、しつけの範囲」
と、自分の中で線引きをしてしまう。
でも、友田明美先生の『親の脳を癒やせば子どもの脳は変わる』を読んで、私はその線引きを 完全に手放す ことになりました。
「叩くほど、考える力は育たない」
目次
体罰が届く場所は、一番大切な場所だった
友田先生の研究チームは、厳しい体罰を受けて育った人の脳を調べました。
その結果、ある特定の部位に変化が見られたのです。
それが、前頭前野 と呼ばれるエリアです。
前頭前野は、脳の司令塔 とも呼ばれるとても大切な場所で、
- 物事を考える
- 感情をコントロールする
- 我慢する
- 正しい判断をする
- 将来を見通して行動する
といった、人間らしさの根っこ を担っています。
つまり ──
「しつけのつもり」で体罰を続けると、子どもの”考える力”そのものが育ちにくくなってしまう
ということです。
これは、私にとって衝撃的な事実でした。
「その場で言うことを聞かせる」の落とし穴
体罰は、たしかにその場では効きます。
痛い、怖いと感じれば、子どもは一時的におとなしくなります。
だから親は、
「効いた!」
と錯覚してしまうのです。
でも、それは本当に効いているのではなく、恐怖で動いている だけ。
恐怖で動く脳と、自分で考えて動く脳は、まったく別物です。
そして困ったことに、恐怖で動く経験を重ねれば重ねるほど、考える力は育たなくなっていくのです。
その場では言うことを聞くのに、
- 自分で判断できない
- 言われないと動けない
- 失敗を過剰に恐れる
- 人の顔色ばかりうかがう
こういう姿は、実は体罰の”効果”の裏返しかもしれないのです。
私たち親世代の刷り込みを、一度置こう
「自分も叩かれて育ったけど、ちゃんと育った」
そう感じる方も多いと思います。 私もそう思っていました。
でも、それは 「叩かれても、なんとか育つことができた」 ということであって、 「叩かれたから、ちゃんと育った」 ではないはずなのです。
むしろ、私たちは大人になってからも、
- 怒られることが怖い
- 失敗を隠したくなる
- 人の評価に過剰に反応する
といった、見えない傷を抱えていることがあります。
その傷の一部は、もしかしたら子ども時代の体罰と関係があるのかもしれません。
「自分のしつけは間違っていた」と責める必要はありません。
当時は、それが常識だったのですから。 私たち親世代が受けた体罰は、当時の文化の話です。
ただ、今の私たちが同じことを繰り返す必要はない、ということです。
ゴールは「言うことを聞かせる」ではない
以前、このブログの「叱る?叱らない?」の記事でも書いたのですが、 子育ての本当のゴールは、「言うことを聞かせる」ことではないと私は考えています。
本当のゴールは、
子どもが自分で考え、自分で判断し、自分で行動できるようになること。
そのためには、前頭前野が健やかに育つことが欠かせません。
そして前頭前野は、怒鳴られたり叩かれたりする環境では育ちにくい のです。
逆に言えば、
- 言葉で丁寧に伝える環境
- 子どもの気持ちを聞いてもらえる環境
- 失敗しても大丈夫だと感じられる環境
こうした環境では、前頭前野はすくすくと育ちます。
これは脳科学がはっきり示していることです。
「叩かない」は、あなたの子どもへの最大の贈り物
体罰をやめる。
たったそれだけのことですが、これは子どもの脳に贈れる最大級のプレゼントだと、私は本気で思っています。
もしも今、
「叩いてしまうことがある」
「手が出てしまう自分を止められない」
そう感じている親御さんがいたら、どうか自分を責めないでください。
それは、あなたが 弱いから ではなく、余裕がないから です。
疲れきっている親に、冷静な判断なんてできません。
だから本当に必要なのは、叩かないための意志の力 ではなく、 親自身の余裕を取り戻すこと なのです。
この話は、連載の後半でゆっくり掘り下げていきます。
今日の一歩は、ただひとつ。
「体罰は、しつけの道具にはならない」
このことを、心の片隅にそっと置いておいてください。
気づいた人から、変えていけばいい。
それで十分なのです。
『幸せな秀才児』が増えることが最大の喜びです。
