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平成29年春、私は娘に嫌われた
昨年から始めた陸上クラブの練習中、
周りの子とのおしゃべりに夢中で練習に集中できていない娘との帰り道に私の怒りは爆発した。
「速くなるためにクラブに入ったのに本気で練習しないなら無駄だ!パパも毎回送り迎え大変なんだ!やる気がないなら辞めてしまえ!」
感情的に叱った上に、自宅の2㎞手前で娘を車から無理やり降ろし
「そこから家まで走って帰れ!練習サボったバツだ!」
と怒鳴りつけて置き去りにした・・・
完全に娘に嫌われた
今思い出しても、本当に最低な父親だったと思う。
前年の大会で参加者中真ん中くらいの結果だった娘のレースを観て、何故かとても悔しくて、
何故かとても頭にきて、その時も娘を感情的に叱ってしまっていた。
一冬越えて今年こそ速くなってくれ!との思いを込めて練習に送り迎えし見学していた矢先の最悪な出来事だった。
今ならこの時の事を冷静に分析できる。
娘が練習よりも友達とのおしゃべりに夢中だったのは、久しぶりに再開した仲間とコミュニケーションを取るためであり、同じ学校から一人でそのクラブに参加している娘は知り合いもいない状態からのスタートなので、仲間との良い関係を構築する事は目の前の練習よりも優先するべき事だったのだ。
娘は自分なりに考え、最善の事をしていた
本気で頑張っていたのに
本当に最低の父親だ
男の子と違い、女の子には1度嫌われたら二度と関係修復は出来ないとされている。
私の経験からもこのデータは正しいと思う。
娘に嫌われた父親は、そこから一生娘の成長を楽しむ事は出来ない。
個人差はあるとしても、男親にとっての娘は特別な存在だ。
本当に可愛くて目に入れても痛くない。
大げさに言えば、娘に嫌われた父親とは生きる理由の半分を失ってしまった事と同じなのだ。
とにかく悲惨だ。
無事に帰ってきた娘は、黙って部屋に閉じこもってしまった・・・
私は娘に嫌われた最悪な父親だ。
しかし、冷静になった私は今考えても褒めてやりたい行動に出たのである。
娘の部屋をノックして、娘と話をしたいと部屋に入れてもらった。
「さっきは本当にごめんね。パパは言いすぎた。本当にごめんなさい。
クラブを辞めろとかもう送り迎えはしないと言ったのは感情的に言っただけだから本心じゃない。
○○が続けたいなら今まで通り続けていいから、自分で決めて欲しい。本当にごめんね」
こんな感じの事を一気に伝え、部屋を後にした。
数時間後・・・
娘はいつもと同じ明るく元気な女の子に戻っていた。
私は、ギリギリで赦され救われた
あの時、なぜ謝ったのかは今でも分からない、
当時の私は会社でも家庭でも威張り散らす嫌なヤツだった。
会社の会議でも、自分の主張を正当化するために資料を作り、人の意見に耳を貸さず反論も許さない本当に嫌なヤツだった。
そんな私が娘に謝れたのは奇跡だと思う。
とにかく、私は救われた。
そこからの私は取り返しのつかない失敗をしないために、今まで以上に子育てについて学んだ。
男と女、雄と雌の違い。ステージ理論。モンテッソーリ教育、サドベリースクール。
シュタイナー教育は難しすぎた。
古今東西、様々な教育と発達心理学の本を読み漁った。
沢山のセミナーにも参加したが本当に子育てに成功している人が講師になっているケースは稀で、やっと見つけた突き抜けた結果を出している先生は世界のエリート層向け過ぎて私には手の届かないノウハウだった。
そもそも、娘の子育てを失敗しないために自ら責任を持って教育出来るだけの知識を得たくて学びを始めたのに、気が付くと教育論の研究をしている状態になっていた。
本末転倒だ。
答えは目の前の子供にあった。
それに気がついた私の子育ては上手くいき始めた。
学んだことを実践し、失敗は修正し、過ちはすぐに謝罪し挽回した。
現時点での娘の成長にはとても満足している。
周りの人達の応援を力に変え頑張れる素晴らしい女の子に育ってくれた。
娘の事を心から尊敬している。
私は娘のために試行錯誤した末に辿り着いたノウハウを
『幸せな秀才児の育て方』と定義し子育て世代の親御さんに伝えている。
具体的には、
『心』を育てるメンタルトレーニング
『体』を育てる食育
に特化したノウハウをお伝えしている。
これが子供のために、親の出来る最善の子育て方法だと強く思う。
『幸せな秀才児』が増えることが最大の喜びです
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